完コピ

No.9 2019年03月30日 01時22分20秒



音楽をやってた頃、来る日も来る日も好きな曲やヒットしている曲を色々な方面から分析して「完コピ」した。
コード進行やアレンジや歌い方には、それぞれのアーティストのクセがある。
その作業は、自分の技術のレベルを確実に上げてくれたと思う。

デザイナーとして駆けだした頃も、同じように好きなデザイナーや作品を自分のパソコンの中で再現してみた。
タイトルはなぜこのフォントなのか、ロゴのこのカーブにはどんな意味があるのか、レイアウトを逆にしてみたらどうなるのか。
それこそ、来る日も来る日も。
そしてそれはまた、デザインの学校にも行っていない、どこかのデザイン事務所に勤めたこともない我流の自分の技術のレベルを確実に上げてくれたと思う。

全員とは言わないけど、今の若いデザイナー達は、あまり「完コピ」をしないらしい。
いきなり「オリジナリティ」を追い求めて、もしかすると、そうしなければいけないと思い込まされたのかも知れないけど、結果的に出来上がったその「オリジナリティ」は、アートと呼ぶなら許されても、デザインと呼ぶには値しない。

「完コピ」をしない理由は明白だ。
彼ら彼女らにとって、「完コピ」は恥ずかしい行為であり、かっこ悪いことであり、面倒くさいのだ。

柳宗理氏がデザインしたバス停の写真を何度も何度もトレースしてた自分にとって、なぜそのカーブでなければならなかったのかは、どうしても知りたいことだった。
岡本一宣氏がデザインしたポスターを自分のパソコン上で再現してみて、どうしてその色を選んだのかを全身で理解したかった。

技術力を上げるには、「まずは完コピ」が欠かせないと今でも思う。
僕のそれは、例えばピンタレストで探してパクる行為とは意味が違う。
技術うんぬんよりも、その理由や意味を知りたかったのだ。

それとも、もうそんな時代ではないってことなんだろうか。

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