対岸の君と。

No.21 2019年04月17日 16時57分09秒


 
先日、東大での上野千鶴子さんのスピーチについて書きましたが、ネットやテレビなどでも、このスピーチを巡って色々な議論が起きています。
そしてそれはとてもいいことで、反対意見やその人なりの解釈があって然り、それが正常なことだと思います。
こういうことって、議論がちゃんと行われなかったことが問題点のひとつだったわけで、こうやって、それまで「その他大勢」だった人達も巻き込んで考えられることが大切だと思います。
 
誤解を恐れずに僕の意見を言えば、性別を理由に排除されることって、キャリアな仕事や役職や地位に近づけば近づくほど多いものだと思うし、同じ男同士、女同士の中でも、性差別ではないにしろ、残念ながら普通に差別はあるし、それはどんな小さな村社会でも存在するわけで、ごくごく一般的な立場の僕らにしてみれば、そこまであからさまな性差別とかは少し遠いところにある、いわば対岸の火事な気もします。
「東大へ行こう」「女医になろう」という人は、全体からすれば確実に少数派であり、それによって生まれる性差別が、そのまま社会全体の構図とは言えないことにも理解が必要だと思います。
 
例えば、医大の受験に対して、女性が排除されている傾向にあるとしても、せっかくお金をかけて育てても女性は出産などで離職する可能性が高い、という見方があることは容易に想像できます。
僕らみたいな零細事務所にしたって、女性を積極的に採用してはいますが、やはり結婚や出産によって離職していきます。
もちろん、男性なら離職していかないということでは決してありませんが、本当はもっと時間をかけて育てていきたいし、社員を雇うということは、会社にとっての負担は間違いなく増えるわけで、それでも、そこに投資をして育てようとするけれど、いずれ近い将来、結婚や出産によって離職していくことがかなり高い確率で予想される場合、どこまで時間や予算をかけていいものか、と躊躇することは紛れもなくどこの会社でもあるわけです。
まあ、それもあって、最近はどんどんとアウトソーシング(外注)に主軸を移すスタイルが広がっていて、社員を雇う、というスタイルは少しずつ時代遅れになってきているわけですが、とにかく、それを性差別だと言われてしまうと、おそらくは女性を雇うこと自体を躊躇してしまうかも知れません。
 
かといって、結婚や出産はダメなことでは決してないし、出産は女性にしかできないことであるのも事実。
中には、出産後にすぐに職場復帰する女性もかなり増えたと思うのですが、母親との時間をそれこそ排除してまで、すぐに職場復帰することが果たして本当にいいことなのか、という疑問も残ります。
僕は常々、ペットショップ等での生体販売に反対していますが、そこでも、生まれてすぐに母親と離されてしまうことが大きな問題のひとつであり、誰にとっても、人か犬かの違いなどなく、母親という存在からくる影響の大きさはあるわけです。
もちろん、そうせざる得ない状況にある女性もいるわけですが、なぜそうせざる得ないのか、その問題と解決をもっと社会全体で考えるべきだと思うのです。
 
いずれにせよ、性別による違いは間違いなくあることで、むしろなぜその違いを尊重しあえないのか、という残念さを強く感じます。
例えば、自分とは違う意見の人や、自分の意見に賛同しない人を、「あいつがバカだから」と言って片付けることは簡単ですが、果たしてそれでいいものか。
違うということから生まれる良いことだってたくさんあるはずで、僕という人間が、自他共に認める無類の女性好き、だということを差し引いてでも、男性には男性の、女性には女性の、それぞれに適した生き方をさらに伸ばしていくことのほうが大切で、どっちが上とか、どっちが勝ちとか、そんなくだらないことはもういい加減やめたほうがいいと思うのです。
そんなことを言い合っているあいだは、決して性差別もなくならないでしょう。
 
大和撫子な女性も、私はセックスが大好きと堂々と言える女性も、どちらもいていいんだし、僕はどっちの女性も大好きです。
東大へ行きたい女性も、中学を卒業したら高校へ行かずに海外へ行って世界を見てみたいと思う女性も、女医になりたいという女性も、専業主婦になりたいという女性も、色々いていいんです。
ようは、どんな道を選んでも、メリットもデメリットもあるし、楽しいこともツライこともある、という、ただそれだけのこと。
見方を変えれば、性差別はあちらこちらにもあるし、また見方を変えれば、性差別は存在しないとも言えるのも、隠せない事実だと思います。
 
嫌になったらすぐに逃げればいい、という風潮が広がってきてるけど、会社からすればたまったもんじゃないでしょう。
反対に、自殺するほどツライのに、そこから逃げれないのも、また大問題です。
桃太郎の物語を、桃太郎側から見るのと、鬼側から見るのでは、物語の意味が真逆にかわってきます。
仕事には、その仕事なりの適性や求められる能力や、そして、どれくらいの時間を、どのくらいの想いでそこにかけてくれるか、という問題だって、雇う側にはやっぱりあります。
 
川は、両方から見て川であり、男女という性による「対岸」が生まれているのであれば、その川を埋め立てて対岸をなくしてしまえばいい、と考えるのはあまりにも短絡的で乱暴的です。
なぜなら、その川でしか生きられない生き物だっているし、川があることによるいいことだってたくさんあると思うんです。
 
それまで「その他大勢」だった人達も、この機会を逃さずに、これらの問題について、身近な人達と大いに議論しあってほしいなと思います。

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